ダイレクトセールスとイジケが、レンタカーでのについて。

報道協定も成就し、決死隊の編成や戦術会議もすませ、現地警備本部に戻ると、本部は騒然としていて丸山参事官がしきりに東京と電話で応酬している。野中県警本部長は腕組みし、撫然としている。「どうしたんですか?」「大雪注意報だから大事をとって決行日を一日延期しろって言って来たんだよ、から」聞けば明日の天気予報は大雪で、関東北部は十五センチから二十センチの積雪が見込まれるとのこと。みんな明朝決行と覚悟を決めているのに一日延期か。現場の状況判断は現地指揮官に任せたらいいのに。だが仕方がない。「一日延期だとさ」とみんなに伝える。折角張り切っているのに延期されると拍子抜けしてしまアブ。最後の警備会議二月一十七日(日)、天気予報ははずれた。たしかに雪は降っているが大雪ではない。この程度なら今日でもやれたのに。午前十一時二十七分、ずっと掛け続けていた山荘の電話に初めて誰かが出た。誰かが受話器をとったのである。説得班が勢いこんで話しかけるが、相手は黙って電話を切った。一体誰が、なぜ出たんだろう?二十七日午後、〃X作戦″実施に関わる最後の大警備会議が軽井沢署訓授室で開かれた。

そういうわけで、私はADDの治療を受けることにはなりませんでしたが、この本のメッセージが有効だったことには変わりはありません。この本はそれ以降も、私にとっての原点でありつづけました。人の脳の働きは一人ずつ違う。能力にデコボコがあるのは当然なのだ。足りない部分は、道具を使ったり、人に頼んだりして埋めればいいのだI以前は、後ろめたく思っていたことを、堂々と実行できるようになったのです。 まじめにどうか皆さんも、片づけられないからといって、夢をあきらめないでください。雑用が苦手だからといって、得意な力を発揮するのを後ろめたく思わないでください。苦手な分野から発想を組み立てるのではなく、自分が本当にやりたいこと、情熱を燃やせることを原点に発想してください。整理能力の不足を補う方法を考えようにも、「どんな場所で、何をするか」が決まっていなければ、対策が立てられないのですから。

さらに朝鮮動乱後、スエズ・ブーム時には大量に船舶導入、海外航路における運賃競争は激化した。しかし五七年スエズ動乱以降の船舶過剰による海運市況の悪化はいちじるしく、五七社計一八六六億円の赤字が計上されるまでに海運企業の業績は落ち込んだ。そこで、六二年政府は海運集約化による海運再建をすすめることとし、外航船腹九三六万トンのうち九割を中核六グループ(日本郵船、大阪商船三井船舶、川崎汽船、山下新日本汽船、ジャパンライン、昭和海運〉に集約することとなった。本格的な海運需要が増大したのは、鉄鋼業などの臨海部への工場立地を契機とするものであった。海運は重化学工業振興策の重要な要素であった。昭和三0年代からの重化学コンビナート建設は、石油・鉄鉱石などの工業原材料、燃料の輸入を大量かっ安価におこなううえで大型専用船を使用する海運の役割を前提にしていた。

もっと外へ出ていったらどうだろうか。外に出なくては、自分の本当の姿も見えてこない。かく言う私も、実はひょんなことから何回も外国に行く生活に飛び込んだのである。けっしていまのような物の見方を昔から持っていたわけではない。むしろ偶然のつみ重ねによって現職につき、そのなかでもまれてきただけなのだ。このことを、つまりだれでも樵斜と継続努力しだいなのだということを少し理解していただくために、私自身のことを若干述べることをお許しいただきたい。私が東工大からMIT(マサチューセッッエ科大学)に留学していたころ、東工大では学園紛争の真最中だった。私は、原子炉材料に関し一流の専門誌に論文をたくさん書き、研究ではだれにも負けないと自負している頃だった。さあ、日本に戻ってこれから研究者としてがんばろう